爽やかな文体・危うい人間関係・ムンクの絵のようにピリピリ震える感受性・精神的SMとセクシャルな官能性を次々に紡ぎだす松浦理英子の世界へ皆様をご招待します。






エッセイ・対談・関連評論集・その他
対談収録

◆ 「中上健次発言集成4 対談」

   
(1997年2月・中上健次著・第三文明社)



 1990年4月28日に行われ、新刊ニュース(1990年7月)に掲載された中上健次との対談・「女と男の関係性を越えて」が収録されています。


◆ 「彼女たちは小説を書く」

   2001年3月・後藤繁雄・メタローグ社)


 松浦理英子・柳美里・吉本ばなな・川上弘美・赤坂真理・山田詠美・中上紀・江國香織ら現在一線で活躍中の女性作家へのインタビュー集。
 雑誌・「Wasteland・VOL.8 WINTER」に掲載されたものが、「作品をいじるより、作品にいじられるために」と改題されて収録されています。


 「現代思想・2月臨時増刊 総特集・プロレス」

   
(2002年2月・青土社)


 「プロレスの割り切れなさに憑かれて」と題する長与千種との対談・「<真実>もまた消費されるのならば」と題するエッセイが収録されています。

エッセイ収録

◆ 「西洋人形館 沢渡朔写真集」

   
1980年12月・アニタ・ホーキンズ著・沢渡朔写真・サンリオ)


 「ひねくれたラブレター」と題するエッセイが収録されています。


◆ 「愛のテーマ・序曲」(橋本治の研究読本)

   
1984年12月・高橋丁未子編集・北宋社)


 「子どもたちがブルーになったら」と題するエッセイが収録されています。


◆ 「Ange アンジェ 秋山まほこ人形作品集」

  
 
(1991年3月・秋山まほこ・トレヴィル)


 エッセイが収録されています。


◆ 「銀星倶楽部18・ぬいぐるみ」

   
(1994年7月・ペヨトル工房)


 中村歌右衛門・新井素子・実相寺昭雄・小中千昭・小中和哉・荷宮和子・ブル中野・DOO・椹木野衣・西原a・小谷真理・黒皮耐逸郎との共著です。 「愛の演習」と題するエッセイとパンダのぬいぐるみと戯れる松浦さんの写真が掲載されています。


◆ 「フュリス」

   (1994年2月・ホルスト・ヤンセン・トレヴィル


 「ホルスト・ヤンセン、浸食する線」と題するエッセイが収録されています。


◆ 「抱擁する男達 クラウス・ゲーハート写真集」

   
(1994年5月・クラウス・ゲーハート・河出書房新社)


 「男達の静かな光景」と題するエッセイが収録されています。


◆ 「日本のフェミニズム6・「セクシュアリティ」」

   (1995年2月・岩波書店)



 朝日ジャーナル・1992年4月17日号に発表の「嘲笑せよ、強姦者は女を侮辱できない」に、若干加筆したものが収録されています。
 井上輝子・上野千鶴子・江原由美子他との共著です。


◆ 「群像・日本の作家29・村上龍」

   
(1998年4月・村上龍・島田雅彦・吉本ばなな・中上健次他との共著・小学館)



 エッセイ・「非=男性作家としての村上龍」が収録されています。


◆ 「日本の名随筆・別巻86「少女」」

   
(1998年4月・山田詠美編・作品社)



 「(生涯−美少女)ジェーン・バーキン」が収録されています。
 
 平塚らいてう・与謝野晶子・宮本百合子・平林たい子・岡本かの子・吉屋信子・林芙美子・宇野千代・円地文子・佐多稲子・城夏子・有吉佐和子・佐藤愛子・大庭みな子・津島佑子・如月小春・馬場あき子・山田詠美他との共著です。


◆ 「ドラウパディー」

  
(2003年11月20日・モハッシェタ・デビ著・現代企画室)

エッセイ・「耳を澄ませて読む」が収録されています。


解説収録

◆ 「女からの声」

   
(1987年1月・青野聰・講談社文庫)


 解説が収録されています。

 「・・・根ざす場所を持たない、あるいは持てない理由まで詮索する必要はあるまい。それより、主人公達がとり続ける受け身の姿勢が、受け身ということばにつきまとう弱々しさや消極性のイメージとは無縁で、しなやかで優美でかつ激しさをひそめているとさえ見える点の方が興味深い。青野氏における受け身の姿勢の質を明確にしたのが、他ならぬ本書「女からの声」である。
 八十四年に単行本として刊行されたこの作品を読んで私は、主人公がどんな既成文学にも見られない新しい男性像を示していることに感嘆したものだった。・・」−解説文から一部抜粋−


◆ 「モーツァルトは子守唄を歌わない」


   
(1988年7月・森雅裕・講談社文庫)



 「解説者はお世辞を言わない」と題する4ページ余りの解説が収録されています。


◆ 「見晴らしガ丘にて」

   
(1994年7月・近藤ようこ・ちくま文庫)


 「近藤さんの手応え」と題する6ページの解説が収録されています。

 「見晴らしガ丘にて」中の「かわいいひと」という作品には、「まあ女流で観念小説が書けるのは倉橋由美子と高橋たか子くらいだね」・・・「それに若手では松浦理英子かな美人だしね彼女は」という台詞が出てきます。

 松浦さんも解説でそれに触れられていて、「・・・内の一篇に私の名前が現れる本作の解説を私が引きうけることになった不思議なめぐり合わせをも、幸運と喜ばずにはいられない。」と、お書きになられています。


◆ 「鈴木いづみコレクション第5巻・エッセイ集1・いつだってティータイム」

   
(1996年12月・鈴木いづみ・文遊社)


 「いつまでも鈴木いづみ」と題する 解説が収録されています。


◆ 
「天使に見捨てられた夜」

   
(1997年6月・桐野夏生・講談社文庫)


 「村野ミロの自尊心、桐野夏生の勇気」と題する6ページの解説が収録されています。

◆ 「OUT」

   
(2002年6月・桐野夏生・講談社文庫)


 「・・・<階級>についての暗澹たる認識から出発しているにもかかわらず、本作品が古めかしいプロレタリア文学にも読者を意気阻喪させる悲惨な話にもなっていないのは、驚嘆すべきことである。下層階級の女たちに作者とともに深い共感を寄せる読者は、暗さに耐えて雅子の長い彷徨の末の解放を見届けた時、ほかではめったに味わうことのできないカタルシスを得るに違いない。「OUT」はそういう小説である。」−解説文から一部抜粋−  

「<OUT>な女たち」と題する6ページの解説が収録されています。
関連評論集

◆ 
「奥野健男 文芸時評 」・(上・1976〜1983 下・1984〜1992)

   
(1993年11月・奥野健男・河出書房新社)


 「「葬儀の日」を読んで、自己形成期にしか書けない真摯で大胆な観念小説に久しぶりにぶつかった気持ちがした。ぼくらがこの作者と同じ二十歳の頃、書こうとしていたのはこのような小説だったと思い出す。いわば昔の旧制高校生的小説なのだが、それが男性ではなく女性によって書かれたというところに今日の若者のおかれている状況が反映しているのかもしれない。

 朝鮮はじめ日本にもあった葬儀のときの職業的泣き屋という土俗的な風習を現代に置き換え、笑い屋という職業も設定し、その上で分裂する自己を泣き屋と笑い屋という対極で表現しているのはなかなかの才覚である。

 どうにもならなく感じられる自己の矛盾した二面をシンメトリカルに対決させ、自己嫌悪とナルシシズムの中に男を導入して破綻に向かわせ、泣き屋の自分が笑い屋の自分を扼殺してしまう。
 自己形成期における自己の外面と内面という最大の問題を(しかし世間には理解されない問題を)、一歩誤れば青くさくて小説になど構成し難いテーマを、未熟さの露呈にはらはらさせながらここまで読ませたのは立派である。」

 他に「火のリズム」「乾く夏」「肥満体恐怖症」「セバスチャン」「いちばん長い午後」「変態月」が評論されています。


◆ 
「小説愛・世界一不幸な日本文学を救うために」

   
(1995年6月・芳川泰久・三一書房)


 「親指Pはいかに”距離”を埋められるか−松浦理英子論」が収録されています。


 「消費のなかの芸」

   
(1996年7月・吉本隆明・ロッキング・オン)


 「親指Pの修行時代」の読み方と題して、村上春樹・奥泉光・瀬名秀明らと共に評論されています。


◆ 「恋愛の解剖学・エロスとタナトス」

   
(1997年11月・寺田操著・風林堂


 「ひとはいかにしてひとと成りうるのか。あるいは、みずからの人間的本質にむきあうことが可能であるのか。恋愛は、その根源的な問いを直視することをうながす厳しい魂のモラルなのである。魂の愛を厳しく生きた体験は、男と女を輝かせる。恋愛とは、情熱を生きること−。」

 谷川俊太郎・森瑤子・河野多恵子・折口信夫・アンドレ・ブルトン・マルグリット・デュラスなどと共に、 −恋愛という病−で「ナチュラル・ウーマン」が「ナチュラルな性愛」と題して評論されています。
 難しい評論の言葉は少なく読み物として大変面白いです。


◆ 「少女領域」

   
1999年10月・高原英理著・国書刊行会)


 野溝七生子・尾崎翠・倉橋由美子・森茉莉・稲垣足穂・大原まり子らと共に、
−意識の新戦略−として、「ナチュラル・ウーマン」が評論されています。


◆ 「歪む身体」−現代女性作家と変身譚−

   
(2000年4月・カトリン・アマン・専修大学出版局)


 変身は、男/女からの脱構築の試みであり、社会批判でもある。変身をテーマにした5つの作品を、ジェンダー・アイデンティティの視点から分析されています。
 −性的アイデンティティの拡散−松浦理英子「親指Pの修業時代」と題して、
津島佑子「寵児」・多和田葉子「犬婿入り」・川上弘美「蛇を踏む」・笙野頼子「母の発達」と共に評論されています。


◆ 「女性文学を学ぶ人のために」

   
(2000年10月・渡邊澄子編集・世界思想社)


 作家別研究の現在−現代作家−の中で、ほんの少し「ナチュラル・ウーマン」と「親指Pの修業時代」が評論されています。


 「現代文学鑑賞辞典」

   (2002年3月・栗坪良樹編集・東京堂出版)


 明治時代からの日本文学の主な作家・作品のあらすじと解説を紹介しています。
 松浦作品では、「親指Pの修行時代」のあらすじと解説が紹介されていて、「現在では生と性の多様性は普通のことになりつつあり、作者のモチーフは思考実験ではなく、社会に認められつつある思想である。」というような意味の紹介文があります。

 松浦理英子が小説やエッセイの作品で展開した思想が、社会的な思想として非常に先鋭的であり、やっと社会状況が追いついてきたことを物語っている。



「女からの声」・「OUT」は、松浦さん御自身による解説の一部を使用させて頂きました。
                   





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